付き合いの長い人、友達、大切な人、家族、仲間、
きっと長く付き合えばその人が分かるっていうのは嘘だと
思うんです。
長く付き合ってるが故に、その年月が築いてしまった
「その人」との関係性の中で
「言うべきじゃない」や「言っても無駄」さらに「言えない」
っていう思い込みが、その人と自分との間に知らず知らず
見えない壁や距離を作ってしまう。
「失って初めてその大切さに気付く」
よくある話しやけど、これも「居て当たり前」っていう
思い込みが、その人を知ろうとする事の大切さを忘れさせてしまい
んで勝手に自分の中に「その人」の像を作ってしまう。
そんでそれは大抵の場合は悪い像でね…。
そういう「相手」を除いた自分だけの思い込みで本当の「その人」
は徐々に見えにくくなり、月日を重ねて取り返しのつかない状況になる。
でも「取り返しがつかない」ってのも
実は思い込みの部分が大半で、本当はぜんぜん間に合うんやけど
何故かもう遅いと思ってまう。
うーん、人間って面倒臭いね(笑)
大切なのは、ぜんぜんどうにかなるっ! って事ですよ
ぜんぜん間に合う。
「その人」が大切なら大切なほどね
やっぱり人間は話さないかん!と思います。
小さな誤解の積み重ねを、どこかで思いっきり断ち切れるのは
やっぱり話すことですよ。
好きな言葉は「体現」ですが
行動 だけだと、そこから生まれる誤解が
実は人と人との距離を広げてしまう。
だから 「言葉」 と 「体現」。
これ大事。みんな覚えて帰ってちょうだい(笑)
(っていうか「言葉」も「行動」の一種じゃない?)
「体現」 の力は凄いけど、そこに「言葉」の説明や会話がないと
せっかくの腹をくくった行動が、悲しい誤解を生んでしまう事も
あるんです。
しかも僕たち大人は厄介な事に「行動すること」の
ちからとそのカッコ良さを理屈的に分かってしまってるから、
「行動してること」を自分の身を護る最強の盾と勘違いし、
時には自分の大切な人でさえ簡単に置き去りにしてしまう。
「言葉」の伴わない「行動」は全て自分のためだけの「行動」
いくらそばに居ても、心の距離が離れてたらなんか悲しいもんねえ。
なので僕は少なくとも「僕が大切だと思ってる人」に対しては
本音で話します。
あと「僕の事を大切やと思ってくれてる人」にもそうです。
だから僕は悩み事とかも話すようにしてます。
よく「自分の悩みにまわりを巻き込みたくない」
って人がいますが、僕に言わせれば
生きてる時点ですでに他人巻き込んでるんですけど!
っていう感じです(笑)
もっとまわりを巻き込んでいいと思う(笑)
…ってな事を最近考えながら今日、ふと気になった映画を借りまして
「再会の街で」 っていうやつ。
この映画も 心の距離 を描いてて、すごく面白かったです。
みなさん是非。
